「見える」とは、二つの目から得られる光が正しく網膜まで届き、その光の情報が、視神経のケーブルで電気信号として脳まで伝達され、正しく認知されること。
であるという。
二つの目を開いていても、目前に存在するものが「見えない」時がある、目前なので当然目は情報を取り入れている、だけど「見えない」。
それは、目は外部からの光の情報を取り入れあくまでオートマチックに情報を送るだけの器官であり、目はものを「見ていない」のだ。情報が「見える」か「見えない」かは脳の器官に委ねられている。
そして脳は、目を閉じ光の情報がなくても、そこに何かが存在していなくても、「見える」という事が出来てしまう。
それは脳が、記憶や思いを勝手に「見える」に作り上げているからだ。
脳は自由に「見える」「見えない」を作り出す。
あの星の海を誰が正しく「見える」のか。
あの強烈な光を誰が正しく「見れた」のか。
あの四肢の大きさを誰が正しく「見える」のか。
この絵空事を誰が正しく「見える」のか「見えない」のか。
今私の脳はその光を素通りしようとした。
脳が感じてくれないと何も見えない。
ー「吉村正美 眼界の絵画展」(2018.) ー